お正月の町並み…“お飾り”が年々、少のうございますのねっ。
不景気なら不景気でバァ〜〜〜っと参りたいところですのにっ。両親が健在でした頃は家の注連縄(しめなわ)横綱の手綱みたいなブッとさでございましたっけ。
鏡餅なんざ三方ヨロケルほどのデカさでございましたわ。朝早く父が若水ってのを汲んで(水道ですけど。)神棚に供え、ピッカピカに磨きたてた仏壇にお茶を供えご飯てんこもり。
子供は朝湯をつかわされ、お風呂を出るとおこたで温められたマッサラの下着を身につけ肩上げした晴れ着を着せられて身の引き締まる気持ちでしたわ。
そしてお婆ちゃんサマから順繰りにお屠蘇を頂き、お年玉を頂戴する。そのポチ袋にウラには一言、年頭にあたり“言葉”が書いてございます。
アタクシの役目はみんなが食べるお雑煮のお餅の数をめいめいに訪ね歩き、ストーブで焼く係りを拝命され、そんな中で“餅は乞食に焼かせろ、魚は殿様に焼かせろ”となどと言うウンチク??をお婆ちゃんサマより聞かされるのでございます。
時は移って平成21年。
餅は義母が焼き、ヨメは犬とお節を食らう…トンデモナイ時代となっております^^;
あああ、イケマセンっ。このテイタラクはナンだ、と。さぞ草場の陰にて両親を始めご先祖が身をよじって恥じていることでございましょう。
とはいふものの。
義母も既にこのヨメの教育には匙を投げ、ええいっ、この不況下、ヨメ叱るよりオダテアゲ多少の外貨稼ぎの足しに…と、自ら銃後の守り、買って出るのでございます。
今年も平々凡々、佳き春哉、でございますぅ。
最終更新日 2009年01月03日 11時46分11秒