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2008年6月26日
高校時代の思ひ出…思い出してみましてよっ(d ̄▽ ̄)オッケ♪
[ 王白姫的独白 ] 

ぽっアタクシの通った高校はK市にある共学の都立高校でしたわ。自宅からバスで8分… クラブは帰宅部。大体2時間目ゴロ学校に着き5時間目は出ずに近所の喫茶店でお茶してました^m^

 サボる授業は現代国語、古典、政経…コレは得意科目でしたもの。ドウニデモなるっっっ!ハズ大笑い物理…でぇええっっっきれぇええっっっ!!!!!

 なぜか嫌いなハズの数学のβって言う授業は出席、アンジィ〜ってオッサンさまセンセが見ていてホッとするタイプのセンセだったため癒される^^;授業中セッセと爪をピカピカにするクリーナーで磨きをかけていると…“●●(アタクシのニックネーム)よぉおっ、爪磨くより頭磨けっ!”と叱られ続けておりましたわ〜(〃 ̄ー ̄〃)

 アタクシの高校は制服がございましたわ。皆サマ水色のシャツに紺の車襞のスカート…千鳥格子のベスト( ̄^ ̄)ダサッ。アタクシは紺のスカートは…ロ〜ング〜ゥッ!ハマカラーのシャツは七分袖。→マクレガーだったと思いますケド。ベストは着ませんって。アァタ、そのベスト着てたら一目瞭然K高生、サテンでタバコも吸えませんってばよ〜(´ー`)y━~~靴は素足にサンドブーツbyリーガル、もしくはスリッポン。皆サマ、コインローファーをお履きでしたがアタクシにとりましてコインローファーは“お子ちゃまねぇえっ!”^m^でしたもの。

 持つバッグはスヌーピーのコットンバッグとスヌーピーのブリキのランチボックス。最初は黒い親父サマが持つようなビジネスバッグ?の底を釣りのテグスで縫い付けたペチャバッグを愛用しておりましたが…お弁当が入らないんですのね、父親に叱られてランチボックスを持たされるハメになりましたの。アタクシのお弁当は父親担当!でも父が二日酔いの日はなぜか学校に“出前”が届く(>Д<)ゝ"大体がおすし屋サマorラ〜メン屋サマ(^-^;

 普段の日の服装?はチャイナカラーのトップスにロングタイトスカート。靴はエナメルに大きな金属のアクセントが光るカッターシューズ\(*´∇`*)/パーティの時は玉虫色のタイトなスーツで新宿へGOッ♪

 当時アタクシの部屋は2階から出入り出来(勝手に)知らないご近所様から警察に通報された事もございますわ。

 16歳になると原チャリ免許を取得っっっ!ハンドル絞りに絞ってコーナーを曲がりきれず“全生園”と言う国立施設の敷地に顔面から飛び込んだりィ〜、マッパでプ〜ルまで走って後輩から拝観料f ^^を頂戴したりィ、ラジバンダリィ手書きハート

 お休みはパチンコ屋サマで雀球したりィ〜、正丸峠で原チャリごと下へ落下したりィ〜ラジバンダリィ〜ε=ε=(/*~▽)/キャー!

 時々は暴走族同士のケンカに巻き込まれ...(*´д`)アハァ...?お怪我はありましたがそれでも楽しかった高校時代。^^

 そうそう暴走族同士のケンカで足を怪我してしまったアタクシ出席日数が足りなくなって父に“タクシーで通う”って言いました時…“ズッテでも這ってデモ歩いて行けっっっ!”と叱られました時、中学時代からの仲良しの団地のパン屋サマの御次男サマがアタクシの高校の先の高校へお通いなモノで、毎朝チャリの荷台?に座布団を結わえつけてお迎えに来て下さったものでしたっけm(__)m彼の名は《Mitchi=みっち》…だいぶお逢いしておりません。アレほどお世話になっておいて><;人非人=王 白姫

 また高校時代ほど読書を楽しんだ時代も無いでしょう。小学校へ上がってから父の書棚のブンガクゼンシュウはアラカタ読み尽くし、中学時代に書くほうへ転じ、高校時代は自分で本屋サマへ出かけて行ってはルポ物を読み漁っておりましたわ。 とくにツボだったのは日本の女性史。近代から現代への女性史は今でもアタクシのは勇気と支えになっておりますが、高校時代に平塚らいてう、中条百合子、与謝野晶子、柳原白蓮サマの生き方にタメイキをついておりましたのっ。コレでもっ^m^不良娘がっ。ε-(´・`) フー♪

 そんな読書仲間に毛色の変った女子が居て、よく青い文学論など戦わせたものでしたが、ある恋愛論から話が喰い違い、行き違い、こじれてその日を境に話をしたくなくなり…

 逃げていましたの

 後もう少しで卒業を控えたある日、Cちゃん(彼女の名)はアタクシを校門で待っておりました。アタクシは別の友達にCちゃんが校門に居ることを聞かされ、コッソリ裏門から学校をフケましたの。

 Cちゃんから家に電話があった時も、母に無理やり居留守を使わせましたの。何度も続く居留守に母は“卑怯じゃない?なぜキチンと話そうとしないの?”と咎められてもアタクシはCちゃんの声を聞く気にもなれないナサケナイ心理状態に陥っておりました。

 2階へ無言で上がっていくアタクシの背に“そうやって問題を先送りしてるとドンドンと絡まって余計に大変になるんだわっ。”と言う声が追いかけてまいりました。

 卒業式が済んだある日、ソレまでぷっつり無かったCちゃんから電話がございました。丁度アタクシが玄関から一歩出たその時…“あっ、ゼッタイCちゃん!”と思い(判り?)転げるように外へ出ましたの。

 次の日の昼過ぎ、別の友達からCちゃんの死を知らされましたっけ。

 “灯油をかぶって死んだ”って

 アタクシはその後どうなったかのか、病院のベッドの点滴に繋がれていました。錯乱状態とのコトで救急車が来たそうですの。

 Cちゃんの死とアタクシがどれほどの関連性を持つものなのか遺書もなく判りません。ダイスキだった憧れの中学時代の先輩との恋に破れたらしい、と言う噂もまことしやかに流れましたわ。

 でも。  違うと思いましたの。 アタクシの母が最後の電話を取ったとき“おかあさん、白姫に借りてる本返せないけど謝っておいてくださいね。”と言われたそうです。

 貸してる本なんてございませんでした。アタクシを怒らせた事への“謝罪”の理由を“本”にこじつけた二人の間だけの“暗号”だったのです。

 混乱は未だ続いております。

 実はこの記事、何日も前に書いたものだったのです。でもやっぱり書ききれなくて。そうしたら、ブログの仲良しサマ達に“高校時代の思い出”が次々とアップされ…。まるでアタクシのトラウマを察知なさってるかのように。

 Cちゃんに謝らなければいけないのはアタクシ。謝れないのは“でも”“だけど”“我”が有るからこそ。非を認めて謝れない卑怯なアタクシをアタクシは呪っておりました。

 アタクシは天国と地獄があるならば、絶対に地獄行きだと思っておりますわ。いえ、地獄に行かねばならない理由がございますの。

 小さい時から通った教会で神父サマはこうおっしゃいました。“自ら命を絶つものは地獄へ行く事になるであろう”と。

 いつか地獄でCちゃんにお目にかかった日、心を尽くしてお詫びしたいと思っています。でも今はその日まで誠実に生きたいと心から願っておりますのよっ。コンガラガッタ時は真っ先に解いていこう、と心掛けておりますのよ。そして“悪かった”と思った時、謝れない人間は必ずやがてσ( ̄。 ̄)自分にそれ相応の責め苦が用意されてある事が、今では身を以って判った事なんですの。

 高校時代を終えて数日後に起きた出来事。どうしても高校時代のことを思い起こせばCちゃんに繋がってまいります。

 アタクシはCちゃんに許してもらえるためには“謝る勇気”を持つ人間になっていることが自分に課した条件なんですの。

 …ブログって見られるコトを意識した“告白”良くも悪くもエゴイスティックな存在ですけれど、ようやく少しだけ距離を持って、自分を見られた気が致しますわ。

 ブログのお友達サマ〜ありがとうございました。

 このお話はもうコレで封印です。書いたからといって自分を許せるわけでもございませんものっ!ただ高校時代のお話を思い出すとき、もうCちゃんとのコトはいずれアチラで出逢った時までカプセル・イン!

 王 白姫おバカ学生時代ってコトのみで語り続けたい(゚o゚)と思いますのよ。

 さぁて、今日も一日お元気でっっ!!!p(^_^)q

 昨日、梅干に紫蘇を入れてみましたのっ。すっかり茜色になりましたわ〜。 

最終更新日  2008年06月26日 18時25分26秒